4月6日に、岡崎にて街頭で配布したビラ。岡崎の実行委員会が作成しました。
“憲法第9条は家康、私たち岡崎・三河の心”ですよね
岡崎市民のみなさま、そして、ここ三河のみなさま
9条ピースウオークは2月24日に広島平和公園を出発してよりはや42日となります。道中の市役所、県庁、町役場で平和日本と憲法9条の大切さを確認しつつ人々に訴え、行進をしてきました。
今日、4月6日は岡崎恒例の「家康祭り」です。世界で「パックス トクガワーナ Pax Tokugawana(徳川の平和)」と言われ、あの徳川267年間の平和な時代の基礎を築いた徳川家康は日本でよりも諸外国で高く評価されています。秀吉の朝鮮出兵(文禄、慶長の役)には「関東を守る」といって秀吉の出兵要請を固辞し朝鮮国への侵略に加わらず、秀吉死後の天下分け目のあの関ヶ原の合戦を勝ちぬいた家康は江戸幕府を開き、戦(いくさ)続きの戦国時代に終止符をうちました。
秀吉の朝鮮侵略の後始末を朝鮮国からの通信使を迎えることから始め、以後、江戸時代を通じて12回の朝鮮通信使の往来をもって隣国朝鮮との友好を築いてきました。侵略に対する後始末を家康は見事に成し遂げたのです。現在でも学ぶべき外交の手法です。身分制などいくつものことを現在からはもちろん指摘できますが、あの時代にあって人間社会の最大の不幸である武将、大名による集団殺人行為である戦を抑止した政策は現在もなお高く評価できます。それが世界で「パックス トクガワーナ」とよばれているゆえんです。
江戸時代を終わらせたあの薩長の明治政府は、日清戦争以降から太平洋戦争まで単純にいえば10年に1度、新たな戦争を始め、日本の兵士と相手国の兵士・民間人を戦禍に巻き込み、耐え難い不幸を強いてきました。太平洋戦争は将兵だけでなく民間人をも組み込む総力戦であったがゆえに戦争の犠牲者も軍人だけでなく、多くの人びとが犠牲となりました。
1945年7月20日には、この岡崎(康生中心に)にもアメリカ軍のB29爆撃機130機による空襲がありました。全国の主要都市が次々に空襲にあい、ついには広島、長崎への原爆によってやっと戦争終結の8月15日を迎えることができました。
江戸時代では考えられない他国への侵略戦争の連続、そして戦争による被災の連続でした。
多くの、多くの、多くの人々の犠牲の上に63年前、平和日本の建設を始めることができました。“もう戦争はこりごりだ”、生き残った日本の人々の、被害国アジア民衆のこの願いが日本国憲法第9条となったのです。家康が願い、三河に生まれた人びとの“戦におびえることがない生活”を大切にする思いが江戸時代の終わったあと78年たって再び陽の目をみたものです。
私たち市民は、憲法第9条を“家康の心”、“岡崎の心”としてもっており、それゆえ家康と戦のない江戸時代を称えるこの“家康祭り”を支えているのではないでしょうか。
日本国憲法第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
第9条は“家康の心”、“岡崎の心”、みんなの心ですよ、ね。
2008年4月6日
「9条 ピース ウオーク」岡崎実行委員会参加者一同